Diary


2024年1月17日

NEW SONG 土

https://kariu.bandcamp.com/album/soil
https://minnakikeru.com/item/al:oXfeY2EVuK


昨年末からTL上で死体を見ない日はなかった。

言葉を失くした。

虐殺によって焼かれる罪なき身体について考えた。

また、この国においてもほんの少し時代を遡れば 同様の出来事があったことも考えた。

肉体は分解され、それは残り続ける。

文字通り物理的な意味合いで、それは残り続ける。

たとえ人間ごときがそれを忘却したとしても、残留し続ける。

阿呆なので、その事に極々ほんの少量の希望を見出したりもした。

(それを希望と呼ぶべきではない事はわかっているが、適当な言葉が見当たらない)

とにかく言葉を失くした。


2023-2024年に音楽を作っていた、その記録。



Not a day went by since the end of last year that I didn't see a dead body on my timeline.

I was speechless.

I thought about the innocent bodies being burned in the massacre.

I also thought about similar events that took place in our country just a little further back in time.

The body is decomposed and it remains.

Literally, in the physical sense, it remains.

Even if mankind forgets about it, it remains.

Being a fool, I even found a very small amount of hope in that.

(I know I shouldn't call it hope, but I can't find the right word.)

Anyway, I am lost for words.

I was making music in 2023-2024, and this is a record of it.


2023年12月25日

MC Abdul Palestine[FREEVERSE]/ 和訳・注釈

MC Abdulは2008年生まれ、パレスチナ・ガザ出身のラッパー。
彼が2021年5月に発表した”Palestine[FREEVERSE]”の歌詞を翻訳する。



Palestine's been occupied for decades
数十年間、占領状態のパレスチナ
Been our home for centuries
でもここは何世紀もの間、我々の故郷だ
This land is generations
先祖代々、継承されてきた我らの土地
All my family's memories To play and grow and nurture
遊び、育ち、成長した、家族の思い出全てがここにある

The symbol of peace
平和のシンボルであるオリーブの木の恵みによって
The olive trees guarantee that our people could eat
人々はどうにか食いつなぎ
Living with limitations Pushed down by the occupation
占領下の制限の中、押し潰されそうになりながらも生きている

Want to see the pain? Take a look at the people's faces
その痛みを知りたいか?それなら皆の表情を見ろ
Imagine being kicked out of the only house you ever known
ただ一つの我が家を追い出されることを想像してみてほしい
We're praying for our souls
我々は魂のために祈る
While they're preying on our homes
奴らが我々の家を蹂躙する間も

It's not easy to put this into words, Looking at my baby sister
幼い妹を見ていると、容易には言葉が出てこない
Is this something she deserves?
彼女の置かれた境遇は正当なものだろうか?
Growing up in a world where she's not treated the same
denied the right to live free Because of where she came

出自によって自由に生きる権利を奪われ、世界の他の子と同様に取り扱われずに育つ

They wanna occupy this land
奴らはこの土地の支配を望むが
Won't let them occupy my mind
私の心までは支配させない
I stay occupy this side as I write about my life
自分の人生について書くことで、こちら側に留まり続ける
Because my only mission
なぜなら私のただ一つの使命は
Is to make people listen
世界の人々の耳をこちらに向けさせることなのだから

This one's for Sheikh Jarrah
この曲をシーク・ジャーラーに捧ぐ
Hoping it can make a difference
今度こそ異なる結果を望む
'Cause the same thing happened in '48
1948年にも同じことが起きているのだ
My grandparents got evicted
私の祖父母は居住地から追い出され
And forced to move away to the refugee camp in Gaza
ガザの難民キャンプへの移動を余儀なくされた
No, nothing has changed
当時と何も変わっちゃいない
They could never return
祖父母はいつまでたっても家に帰れず
So this where I am today
だから自分も今日この場所に立っているのだ

Getting calls from cousins to see if I am alive
いとこからの生存確認の電話
This here is not fireworks that are lighting the sky
ガザの夜空を彩るのは花火なんかじゃない

We trying to celebrate Al-Eid
アル・イードの祝日を祝ってみせる
And keep the faith
そして信念を貫き通す
I guess you could say it's how memories are made
このようにして記憶は形づくられていくと言えるのではないだろうか
Filastine
ファラスティーン

--
注釈


Palestine's been occupied for decades
数十年間、占領状態のパレスチナ
Been our home for centuries
でもここは何世紀もの間、我々の故郷だ

パレスチナ問題の前提が集約される出だしの2行。
この地を巡る経緯については素晴らしくわかりやすいこちらの解説動画がある。



物凄くざっくり要約すると、
中東への影響力を画策したイギリスが、その思惑によって、アラブ人、シオニスト双方を操ろうとして、結局の所失敗、火種を残したまま二次大戦後に設立された国連に丸投げして撤退。
国連はアラブ人にとって不公平なパレスチナ分割案を、アメリカの後押し等により採択し、イスラエルが1948年に建国を宣言。
建国と前後してイスラエルの民兵はパレスチナ人の居住区を襲い、破壊し、虐殺し、追放する。
これはアラビア語で「大惨事」を意味するナクバと呼ばれ、そしてこのナクバは現在まで続く。
1948年の分割当初56%だったイスラエル支配地は、現在は85%に上る。


This land is generations
先祖代々継承されてきた我らの土地
All my family's memories to play and grow and nurture
遊び、育ち、成長した、家族の思い出全てがここにある
The symbol of peace
平和のシンボルであるオリーブの木の恵みによって
The olive trees guarantee that our people could eat
人々はどうにか食いつなぎ
Living with limitations Pushed down by the occupation
占領下の制限の中、押し潰されそうになりながらも生きている

パレスチナ人にとって、オリーブの木は永続性や土地とのつながりを象徴する。
オリーブは何千年ものあいだ地中海沿岸で栽培され、様々な用途で使用されてきた。
しかしイスラエル政府による水道資源の開発制限により灌漑ができず収穫量は乏しい。
外務省資料 4-3 水資源の項を参照 
それでも貴重な収入源の一つである。
こちらのパレスチナ・オリーブの販売サイトに詳しかったです。
https://www.paleoli.org/oliveoil/


Want to see the pain?Take a look at the people's faces
その痛みを知りたいか?それなら皆の表情を見ろ
Imagine being kicked out of the only house you ever known
ただ一つの我が家を追い出されることを想像してみてほしい
We're praying for our souls
我々は魂のために祈る
While they're preying on our homes
奴らが我々の家を蹂躙する間にも

上掲「パレスチナ問題は こうして始まった【資料&証言】」の中で説明されているが、イスラエルの民兵はパレスチナ人居住区を破壊し、民間人を虐殺、またその噂を広めることで、パレスチナ人を追放した。
多くのパレスチナ人は再び家に戻るつもりだったので、最低限の荷物だけ持って、ドアに鍵をかけて出発した。
帰宅の意思を示す鍵のモチーフは、現在もデモに用いられる。
パレスチナ人口の半分以上が難民化した。


It's not easy to put this into words Looking at my baby sister
幼い妹を見ていると、容易には言葉が出てこない
Is this something she deserves?
彼女の置かれた境遇は正当なものだろうか?
Growing up in a world where she's not treated the same Denied the right to live free Because of where she came
出自によって自由に生きる権利を奪われ、 世界の他の子と同様に取り扱われずに育つ

幼い妹というが、2008年生まれのMC Abdulだって、この曲のリリース当時12~13歳だ。
日本で言えば中学1年生が、水も食料も制限され、爆撃の止まぬ理不尽の極みのような占領下にいて、自身と家族の置かれた状況を英語で綴って楽曲に昇華し、その映像を公開して世界に問いかけたのだ。
それは信じられないくらい創造的で、勇敢で気高い行為ではないだろうか。
世界はどういったリアクションを返すべきだろうか。


They wanna occupy this land
奴らはこの土地の支配を望むが
Won't let them occupy my mind
私の心までは支配させない
I stay occupy this side As I write about my life
私は自分の人生について書くことで、こちら側に留まり続ける

繰り返すが彼は当時13歳。
その彼が「私の人生」と歌う時のその重み。
その言葉のリアルさ。
ガザの平均年齢は18歳と言われる。(日本は48歳)


Because my only mission
なぜなら私のただ一つの使命は
Is to make people listen
世界の人々の耳をこちらに向けさせることなのだから
This one's for Sheikh Jarrah
この曲をシーク・ジャーラーに捧ぐ

シーク・ジャーラーは東エルサレムのパレスチナ人居住区。
土地を巡る長年の係争地である。
2022年1月、イスラエル警察はシーク・ジャーラーでパレスチナ人の家族を強制退去させ、その家を破壊した。
https://www.aljazeera.com/news/2022/2/16/sheikh-jarrah


Hoping it can make a difference
今度こそ異なる結果を望む
'Cause the same thing happened in '48
1948年にも同じことが起きているのだ

1948年から継続するナクバ(アラビア語で「大惨事 / 大厄災」を意味する)。
1948年の5月、国連の一方的なパレスチナ分割案によりイスラエルの建国が宣言され、その前後から多くのパレスチナ人が故郷を追われ、パレスチナ人口の半分以上は難民となった。
繰り返しになりますが、上掲の「パレスチナ問題は こうして始まった【資料&証言】」を是非ご覧ください。


My grandparents got evicted
私の祖父母は居住地から追い出され
And forced to move away to the refugee camp in Gaza
ガザの難民キャンプへの移動を余儀なくされた
No, nothing has changed
当時から何も変わっちゃいない
They could never return
祖父母はいつまでたっても家に帰れず
So this where I am today
だから自分も今日この場所に立っているのだ
Getting calls from cousins to see if I am alive
いとこからの生存確認の電話
This here is not fireworks that are lighting the sky
ガザの夜空を彩るのは花火なんかじゃない

ガザの夜空を彩るのはもちろん花火ではなく、ミサイルと爆撃である。
MC Abdulの別の曲、”Shouting at the wall”にも

My sister couldn't sleep, try to stop her cries
(爆撃で)妹は眠れない。「これは花火なんだよ」と、泣く彼女をなだめる
I said it was fireworks, I was telling her lies
俺は妹に嘘をついたんだ

というリリックがある。



We trying to celebrate Al-Eid
アル・イードの祝日を祝ってみせる

アル・イード・・イード・アル=アドハー(Eid Al Adha)。イスラム教の祝日、ラマダーン月の終了を祝う大祭。 日本では「犠牲祭」と意訳される。
経済的に余裕のある人が羊やヤギ、牛などの動物を買って生贄として捧げ、その肉は貧しい人々に分配される。
Wikipedia


And keep the faith
そして信念を貫き通す
I guess you could say it's how memories are made
このようにして記憶は形づくられていくと言えるのではないだろうか

このmemoriesは4行目のAll my family's memoriesに対応していると思われる。
この理不尽な占領下での抵抗の記憶もまた語り継がれ、彼ら民族の不滅の証として生き残り続ける事だろう。


Filastin
ファラスティーン

おそらくこの最後はPalestineではなくFilastinと言っている。
上掲動画1:40辺り参照



このMC Abdulをつい先日知った。
でも仮に二年前に目にしていても素通りしてしまっていたかもしれない。
結局、知らなかったというよりは、見ないようにしていただけなのだ。
バンクシーに触れ、Rage against the machineに触れ、若松孝二に触れ、ボブ・マーリーに触れ、フェラ・クティに触れても、私は結局無関心なままだった。
彼らの生み出すエンターテインメントのフォルムには関心しても、その背景にあるもの、彼らを突き動かすもの、そういった面倒くさそうなものに深入りできるだけの勇気も知性も持てずに生きてきた。
いや、それは自分の意思ですらない。そのように仕向けられ、為されるがままだった。

この訳が誰の何の役に立つのかは、わからない。
どちらかと言えばそんな情けない自分のために今更やっている、というのが動機としては近い。
まあそれでも始められる場所から始めるしかないのである。

最後に不要な御託を並べてしまったが、虐殺の一刻も早い終結を祈る。



2023年12月21日

Leonard Cohen “The Future” 和訳/解説

現実がこの曲を凌駕してしまったように思える昨今、この歌詞に通底するようなニヒリズムが無効になっていく、そういった地点を我々は目にしている気がする。
その意味で、今省みられ、分析されるべき曲に思えた。


https://www.youtube.com/watch?v=8WlbQRoz3o4


歌詞 / 訳詞

Give me back my broken night
水晶の夜よ再び
My mirrored room, my secret life
鏡張りの部屋 俺の秘密の生活
It's lonely here
ここは寂しい場所だ
There's no one left to torture
拷問する者がもういないから

Give me absolute control over every living soul
全ての生ける魂に対する絶対的支配をくれ
And lie beside me, baby That's an order!
隣に寝ろよ、ベイビー、これは命令だ。

Give me crack and anal sex
麻薬とアナルセックスをくれ
Take the only tree that's left
一本だけ残った木は切り倒せ
And stuff it up the hole in your culture
で、そいつを使ってお前の文化に風穴を開け、かき混ぜろ

Give me back the Berlin wall
ベルリンの壁を俺に返せ
Give me Stalin and St. Paul
スターリンに聖パウロも連れて来い
I've seen the future, brother, It is murder
なあ、俺は未来を見たんだよ それは虐殺だ

Things are going to slide slide in all directions
事物はあらゆる方向に崩れ落ちてゆく
Won't be nothing (won't be) Nothing you can measure anymore
尺度なんてものは何も残っていない
The blizzard, the blizzard of the world
吹雪が、世界を覆う吹雪が
Has crossed the threshold
その閾値を越えて
And it's overturned The order of the soul
魂の順序をひっくり返してしまった

When they said (they said) repent (repent), repent (repent)
悔い改めよ、悔い改めよ、と奴らは繰り返す
I wonder what they meant
俺にはその意味がわからない
When they said (they said) repent (repent), repent (repent)
悔い改めよと何度も言うけど
I wonder what they meant
意味がわからないんだよ
When they said (they said) repent (repent), repent (repent)
I wonder what they meant

「悔い改める」とは、一体何を意味するのか

You don't know me from the wind
風の吹く方から現れた俺のことなんて知らんだろう
You never will, you never did I'm the little Jew Who wrote the Bible
俺はただのちっぽけな、聖書を書いたユダヤ人だ
I've seen the nations rise and fall
あらゆる国家が栄えて滅ぶ
I've heard their stories, heard them all
奴らの話は全部聞いてやった
But love's the only engine of survival
だが、愛だけが生き残るためのたった一つのエンジンだ

Your servant here, he has been told
君の召使いはここだ
To say it clear, to say it cold
彼は明瞭に、そして冷たく話すよう躾けられている
It's over, it ain't going any further
もう終わりだ。これ以上先はない
And now the wheels of heaven stop
天国の車輪は止まってしまった
You feel the devil's riding crop
悪魔が馬を鞭打つ音が聞こえるだろう
Get ready for the future: It is murder
未来への準備はできたね。それは虐殺だ。

(※CHORUS繰り返し)

There'll be the breaking of the ancient Western code
古からの西洋秩序は破壊されるのだろう
Your private life will suddenly explode
あなたの私生活は突然衆目にさらされるだろう
There'll be phantoms, there'll be fires on the road
路上に幽霊が、そして炎が現れるだろう
And the white man dancing
白人の男がそこで踊っているのが見える
You'll see your woman hanging upside down
女が逆さ吊りになっているのも見るだろう
Her features covered by her fallen gown
ガウンが邪魔で彼女の表情は見えない
And all the lousy little poets coming round Trying to sound like Charlie Manson
そしてチャーリー・マンソンみたいになりたい、やかましい詩人たちが束でやってくる。
Yeah the white man dancing
また白い男が踊っているよ

Give me back the Berlin wall
ベルリンの壁を返せよ
Give me Stalin and St. Paul
スターリンと聖パウロも寄越せよ
Give me Christ
キリストも持って来い
Or give me Hiroshima
それかヒロシマでもいいよ

Destroy another fetus now
もういっちょ胎児を破壊しよう
We don't like children anyhow
どうせみんな子供なんか嫌いなんだから
I've seen the future, baby: It is murder
俺は未来を見たんだよ、それは虐殺だ

Things are going to slide (slide) in all directions
事物があらゆる方向に崩れ落ちてゆく
Won't be nothing (won't be), nothing you can measure anymore
物差しなんてもう何もないから
The blizzard, the blizzard of the world
吹雪が、世界に吹き荒れる吹雪が
Has crossed the threshold
とうとうその閾値を越えて
And it's overturned the order of the soul
魂の順序を滅茶苦茶にしてしまった。


--
解説(のようなもの)

冒頭
Give me back my broken night
水晶の夜を再び

“broken night” は直訳すれば、破壊された夜、砕け散った夜。
だが、これは水晶の夜(クリスタルナハト/ ナチスのホロコーストへの転換点とされる1938年の反ユダヤ主義暴動。 その名は破壊されたユダヤ商店のガラスが水晶のようにきらめいていたことに由来する 。 )をイメージさせる表現である。(指摘がGeniusにある。)

仮にこの曲の冒頭が
Give me back my Kristallnacht
であったら、この曲のテーマは、よりユダヤ人としてのアイデンティティを指向したものになっていただろう。
勿論、彼の視点から歴史上の暴力が描かれる際に、まず思い起こされるものは彼の民族が被った迫害であるだろうから、”broken night”というのは、”Kristallnacht”をはっきりと意味するものではないにせよ、その中間よりは、やはり少し”Kristallnacht” 寄りであるような、そのような周到な政治的間合いが計られつつ、この曲は始まっていると言える。


My mirrored room, my secret life
鏡張りの部屋 俺の秘密の生活
It's lonely here
ここは寂しい場所だよ
There's no one left to torture
拷問される者はもういないから

前項の”broken night” が砕け散ったガラスが月にきらめく「水晶の夜」の隠喩であるなら、再びここは閉じられた鏡張りの部屋の内部であり、そして主人公は、かつて拷問が行われていたというその部屋(そこにはやはりナチスのイメージが含まれるだろう)にいて、なぜか孤独を感じている。

Give me absolute control Over every living soul 
全ての生ける魂に対する 絶対的支配をくれ
And lie beside me, baby That's an order!
そして隣に寝ろ、ベイビー、これは命令だ。
Give me crack and anal sex
麻薬とアナルセックスをくれ
Take the only tree that's left
一本だけ残った木は切り倒せ
And stuff it up the hole in your culture
で、そいつを使ってお前の文化に穴を開け、かき混ぜろ

全ての生ける魂に対する絶対的コントロールを欲する彼(要するに悪魔ですよね)は、直接的な性的言及を行った直後に、木を使って穴をかき混ぜるという、その行為のメタファーを持ってくる。
その叙述の順序自体が暴力的である。
仮にメタファーが先で、直接的言及が後だったとしたら、どうだろう?
この暴力性はさほど発生しないのではないだろうか。

また「最後に一本だけ残った木」というのは希望の象徴であり、それすら切り倒して、暴力的快楽の道具にするというのは、とてもえげつない表現であるが、しかし今も繰り返される民族浄化、支配者による被支配者への同化政策等を思い起こせば、むしろジャストなメタファーに思えてしまう、という事が恐ろしい。


Give me back the Berlin wall
ベルリンの壁を俺に返せ
Give me Stalin and St. Paul
スターリンに聖パウロも持って来い

彼はベルリンの壁(これも既に砕け散ったものである)の再度の建設を望み、次の行で独裁者ヨシフ・スターリンとキリスト教の聖人パウロを並列に並べる。
この行はとても詩的だが、でもちょっとニヒリスティックであり過ぎるように今の自分には感じられる。
いや、確かにかっこいいんだけど、こういう表現に今更かぶれてもいられないなあ、と思わされてしまう。
といいながら、彼の歌唱でこのラインを聞くと、やはりそれ相応の覚悟というか、背負うべきものを背負った人間の説得力というものが伝わってくるので、そんな生半可なものではないのかと、気持ちが揺れる。
(ぜひライブのバージョンを聞いてほしい https://www.youtube.com/watch?v=8WlbQRoz3o4


I've seen the future, brother
It is murder
なあ、俺は未来を見たんだよ
それは虐殺だ

ここの”murder”を虐殺と訳しても、最早オーバーな表現ではないのが悲しい。
この曲がNatural Bone KIllers(1994) で使われた当時、それはまだパーソナルな範囲での殺人、あるいは「ひどいもの(The exam was murder!  みたいな用法)」を意味するのが妥当だったのかもしれない。
だが、今は「虐殺」の方がしっくり来てしまう。そんな時代。


Things are going to slide (slide) in all directions
事物はあらゆる方向に崩れ落ちてゆく
Won't be nothing (won't be) Nothing you can measure anymore
尺度なんてものは何も残っていない
The blizzard, the blizzard of the world
吹雪が、世界に吹き荒れる吹雪が
Has crossed the threshold
その閾値を越えて
And it's overturned The order of the soul
魂の順序をひっくり返してしまう

この曲の最も美しく、また破壊的な部分だと思う。
この詞の内容と、コード進行およびメロディのコントラストを聞いて欲しい。
これこそ、音楽にしかできないことだから。
ちょっと譜面にしてみました。


元々世界に吹き荒れていた「吹雪」が、とうとうその閾値を越え、世界を滅茶苦茶にする。
という歌詞が、それまで支配的だった短調から、並行長調への解決を伴うコード進行(SD SDm T /サブドミナント終止。賛美歌を想起させる、いわゆる「アーメン終止」の変形)で、美しいコーラスを伴って歌われる。
そしてその間、メロディが同一音をキープしている(赤下線)。
全ての物事があらゆる方向に崩れ落ち、魂の順序がひっくり返って行くダイナミズムが、単一音程の繰り返しによって、唐突に聖歌のような雰囲気をまとい出した伴奏によって歌われるのである。
この詞と音楽との対比の効果には、何度聞いても圧倒されてしまう。

この曲は平易な、ほぼダイアトニック(key=Cにおける白鍵)のコードで作られている。
このように歌詞とのコントラストを音楽内に発生させるとき、そのことは大きな効果を生む。
「Hallelujah」でも類似した手法が取られる。
(歌詞の中でコード進行が言及され、それをフォローするように楽曲が進む)

Hallelujah / せっかくなんでJeff Buckley版


また「"order of the soul" 魂の順序」についてGeniusを参照すると、
西洋哲学に於いて “order of soul” とは、上位から
「理性」
「情熱」
「食欲/恐怖/怠惰」
であり、この順序が世界に吹き荒れる吹雪(例えば戦争、あるいは情報の氾濫)によって逆転してしまう、ということを意味する。


Won't be nothing (won't be) Nothing you can measure anymore
ここはちょっと解釈が難しかったが、要するに、世界を見る時に手がかりになるような尺度、つまり最低限の倫理や人間性の物差しとなるようなものすらも、我々は失ってしまう、というような事を言っているのかなと思う。
猛烈な吹雪が世界を襲う時、まず心の尺度が失われ、魂の順序はバラバラになってしまう。


When they said (they said) repent (repent), repent (repent)
悔い改めよ、悔い改めよ、と奴らは何度も言うが
I wonder what they meant
俺には意味がわからない
When they said (they said) repent (repent), repent (repent)
悔い改めよと何度も言うけど
I wonder what they meant
意味がわからないんだよ
When they said (they said) repent (repent), repent (repent)
I wonder what they meant

彼らが悔い改めよというとき、それが一体何を意味するのか

この曲の中で唯一と言っていいくらい力強く、また、繰り返し歌われる、いわゆる「サビ」的な箇所。
全体に叙事詩的であるこの詞の中で唯一、語り手の意思表示が行われる部分と言ってよい。
調性は再び短調に回帰する。
この”repent”にどういうニュアンスが込められているのか、ちょっと自分もわからない。
いや、レナード・コーエンもわからないって歌ってるんですが、それとは違う意味で勉強不足(主にキリスト教の)のため、わかりません。


You don't know me from the wind、, You never will, you never did 
風の吹く方から来た俺のことをお前は決して知らない
I'm the little Jew Who wrote the Bible
俺はただの、聖書を書いたちっぽけなユダヤ人だ

この楽曲の作詞法として、語り手の視点が一定でなく、入れ替わり続けているというものがある。
語り手は時に悪魔であり、イエス・キリストであり、預言者であり、そしてコーエン自身でもある。(ちょっとストーンズの”Jumpin Jack Flash” 的でもある)。
また同時に、神も悪魔もコインの裏表であり、ある者にとっての神が、同時にもう一方の者にとっての悪魔であり得る事を示唆している。

ちなみに聖書を書いたのはイエス・キリスト自身ではなくその弟子達だが、この曲に通底する宗教への失望や不信感から、ここは敢えて、史実をわきまえない雑な表現にしているものと思われる。


I've seen the nations rise and fall
あらゆる国家が栄えて滅ぶ
I've heard their stories, heard them all
奴らの話は全部聞いてやった
But love's the only engine of survival
だが、愛だけが生き残るためのたった一つのエンジンだ

ここは解釈が難しい。
何か一箇所だけトーンが違うような。
こういう誰も反論できないようなスローガンをいきなり放り込んでくるところはちょっとハリウッド映画っぽいというか、偽善的に捉えられてもおかしくないように思いますが・・。
リスナーへのリップサービス?
それとも自分の読みが浅いのかなあ・・


Your servant here, he has been told
君の召使いはここだ。
To say it clear, to say it cold
彼は明瞭に、そして冷たく話すよう躾けられている

召使いが現れる。それは他の誰か(神か悪魔)から派遣されたものでもある。
彼は次のように伝える。


It's over, it ain't going any further
もう終わりだ。これ以上先はない
And now the wheels of heaven stop
天国の車輪は止まってしまった
You feel the devil's riding crop
悪魔が馬を鞭打つのが聞こえるだろう
Get ready for the future: It is murder
未来への準備はできたね。それは虐殺だ。

前項では「愛」で駆動するエンジンが登場し、その次に天国の車輪が停止するというイメージ。
さらにその後、悪魔が馬に乗ってやってくる。
これは自動機関→馬という、文明的退歩のイメージも孕むのだろうか。
魂が段階的に退歩していくとき、虐殺という未来への準備が整うのか。

(※Chorus繰り返し)

There'll be the breaking of the ancient Western code
古からの西洋秩序は破壊され
Your private life will suddenly explode
あなたの私生活は突然衆目にさらされるだろう

インターネットへの言及?
この曲は人類史における戦争や暴力、及び宗教が主なテーマと思うが、同時にプライバシーや私的空間の問題についにも言及しているものと思われる。(ちなみにリリースは1992年)


There'll be phantoms, there'll be fires on the road
路上に幽霊が、そして炎が現れるだろう
And the white man dancing
白人の男がそこで踊っているだろう
You'll see your woman hanging upside down
女が逆さ吊りになっているのも見るだろう
Her features covered by her fallen gown
ガウンが邪魔で彼女の表情は見えない

暴動によって秩序を無くした路上のイメージ。
女は逆さに吊るされ、着ていたガウンが垂れ下がり(つまり寝ているところを襲われた)表情が見えない。
踊っている白人の男、というのは、コーエン自身の事でもあると思う。
日々、ディスプレイの向こうで起き続けている惨劇を尻目に、歌ったり踊ったりして呑気に暮らしている人々(つまり我々)のイメージとも、当然重なる。


And all the lousy little poets coming round trying to sound like Charlie Manson
そしてチャーリー・マンソンにでもなりたい、やかましい詩人たちが束でやってくる。

これもまた、作者の詩人としての自己言及と捉えられる。
また、この箇所は先のベルリンの壁やスターリンのくだりへのエクスキューズとしても若干機能している。
詩人という輩は、そういった際どい表現を使って衆目をひきつけようとするものなのだ、と。


Yeah the white man dancing
また白い男が踊っているよ
Give me back the Berlin wall
ベルリンの壁を返せよ
Give me Stalin and St. Paul
スターリンと聖パウロも寄越せよ
Give me Christ
キリストも持って来い
Or give me Hiroshima
それかヒロシマでもいいよ


ヒロシマ。


Destroy another fetus now
もういっちょ胎児を破壊しよう
We don't like children anyhow
どうせみんな子供なんか嫌いなんだから

このラインが皮肉、もしくはジョークとして全く成り立たなくなってしまった今の世界。(寧ろ現実のドライな描写とすら言える。破滅的な事だ。)
10/8以来のガザでの死者は現時点で25,000人超、うち10,000人超が子供といわれる。
イスラエルはアメリカの軍事支援を背景に、たった今も無差別に民間人を虐殺し続けている。
レナード・コーエンがもし存命だったら、どのような感情を込めて、この詞を歌う(もしくは歌わない)だろうか。


I've seen the future, baby: It is murder
俺は未来を見たんだよ、それは虐殺だ

Things are going to slide (slide) in all directions
事物があらゆる方向に崩れ落ちてゆく
Won't be nothing (won't be), nothing you can measure anymore
尺度なんてもう何もないからな
The blizzard, the blizzard of the world
吹雪が、世界に吹き荒れる吹雪が
Has crossed the threshold
とうとうその閾値を越えて
And it's overturned the order of the soul
魂の順序を滅茶苦茶にしてしまった。



レナード・コーエンはカナダの裕福なユダヤ系の家系の出身。
後に禅に傾倒。
自伝が家にあるのですが、まだ読んでない。
読んだらまた少し解釈が変わりそう。

またこの記事とは、直接的には関係ない話かもしれませんが、Natural Born Killersの原案を書いたクエンティン・タランティーノは、現在イスラエル在住で、10/8以降にイスラエル軍の慰問を行っている。
https://hollywoodreporter.jp/movies/27025/

自分が今まで接してきた文化に、自分は無意識的でにも、それらについてある程度は「善なるもの」として、自分なりに選択しながら受け取ってきたように思っていたのですが、今一度それは検証されなければならないと、日々ニュースを見ながら思います。
今こそ学ばなくてはならない。




2023年12月12日

新しい曲を作る時期がやってきた。
本来は時期とか言わずに、常に作っていた方が良いし、実際、今後はそうするつもりだ。
数撃てば当たる、というのもあるが、より重要なのは、作りながらしか、本当に自分が何が作りたいのかは、自分はわからないという事だ。
普段作っていない状態で作ると、何かが作りたくて作ったものができてしまう。
そうではなくて、作りながら考えるのと、考えながら作るのと、その二つが、どちらがどちらか分からない程度に混合された状態が良い。

最悪なのは、リファレンスを参照しながらする制作だ。
これは昨今の楽曲制作では有効な一手段として一般に許容されているようにも思うが、自分にとってはただの悪夢だ。
仕事で、先方が送ってきた、それまでロクに聴いた事もない、何の興味も持てないようなリファレンスをなぞって曲を作ったりしていた。
実際自分はそういう制作の仕方は得意だったようにすら思う。
(というか、お手本があってそれに似たような音楽を作るのは、昨今特に難しい事でもない。)
しかし、そんなロクでもない制作には、今思えばもっと早くおさらばするべきだった。
これは諸々の手間を節約するために妥協した自分の誤りだ。
例え生活のための手段であっても、自分のやり方を守るべきだった。
最初はそうしているつもりだっだが、段々流されていったのだな。
流されていなかったら、結果的に今でもBGM仕事を続けていたような気もする。
しかし、それが良い事なのか悪い事なのかはわからない。
最終的に自分の作品が作れれば良いので、まあ、どうでも良い事なのだろう。

とにかく毎日一時間確保して、曲を作る。
それ以外特にやりたい事はないので、その一時間を確保できるようにだけ、それ以外の事を頑張る。



2023年10月31日

メモ帳にhtmlをタグ打ちして作ったこのページで国際情勢について延々吠えているのは、それなりに腰がひけてる感じはする。
例えばnoteで書く方が、外に対して開けているのだろうが、あのフォーマットには自分には許容できない種類のポジティブさや、不必要に思える親切心があり、はっきりと嫌いだ。
嫌いというか、耐えられない。
(その点、はてなダイアリーは適度にダサくて良かった。)
とにかく、ウェブについてもう少しだけ勉強して、今よりは利便性の高いオリジナルのフォーマットを自分で作るべきなのかなと思う。


今日はイスラエルの年間軍事費の約八割をアメリカが支援という記事を見た。
 https://tokyo-np.co.jp/article/286768

ならば、イスラエルが落とす爆弾の八割もアメリカの金で買われたものということか。
現時点で八千人と言われる死者の八割に対して責任があるということか。
金の出処は米国に収められた税金で、それを納めるのは米企業。
グーグル、アップル、メタもツイッターもアマゾンも、フェンダーもギブソンも。
発表されたばかりの新型Macを窓から投げ捨てたくなる。買ってないけど。
Youtubeで流れる広告も、amazonから届いた植物の種だって、ごく僅かに、殺戮に繋がっている。


だからどうしろこうしろって話じゃないとは思う。
明日もiPadでYouTubeを見て元twitterにも何かしら書き込むかもしれない。

ただ、その事を気が狂わない程度に自覚していようとは思っている。
観念的な意味ではなく、文字通りに、実際的な意味合いで、自分自身も、それに繋がっているのだということ。


2023年10月30日

2023

寝床で、部屋で、駅で、道端で、電気・水・通信、全て遮断された上で爆撃に追われる、という想像をする。
絶望と恐怖、ではとても言い表せない、言葉が追いつかない現実を人の手によって経験させられている、その多くはこの世に生まれ出て十年にも満たないような子供たちである。
生まれて十年にも満たない、水と食糧に飢えた子どもの上に爆弾が落とされる。
これが2023年だ。
街が壊されていく様子は殆ど記録されない。

この虐殺を、世界中の誰もが知っていながら止められない。
政治家・知識人・大富豪・権力者・宗教家、言うまでもなく自分も、全員等しく無力で、この無力を恥じるべきだと思う。
報道を見るのは辛いが、この2023年を、自分の2023年と切り離すべきではない。
美術展に行ったり、綺麗な公園に行ったり、ハロウィンやったり、演奏したり、映画を見たり、楽しんでるが、全ては地続きで、最低でも切り離す方向では、それらの事をしない。
この惨状が放置されれば放置されるだけ、世界はより酷い場所になっていく事を皆が知っている。
恨みや憎しみがパッと蒸発していくような事はありえないので、いつか直接的に、あるいは形を変えて、それらは戻ってくる。
一刻も早く虐殺が止められるべきだ。
子供が世界に目を向けた時、真っ先に目に入ってくる物が希望であってほしい。
やれる事を粛々と、しつこくやる。


2023年10月15日

鼻血

子が鼻血を出して目覚める。
うちの子は鼻の粘膜が少し弱くて、時々鼻血を出す。
血だらけの顔面が、アンドリュー・W・Kのジャケみたいだとか言いながら、血だらけで歩かされている人たちの事を考えてしまう。
しまう、ではないな。
温タオルで鼻のまわりを拭くが、子は嫌がる。

保育園の運動会がある。
良く晴れた。中途半端に凝固した血が残った顔で、子は仲間達と園庭をランダムに走る。
幸せな園庭で、この美しく、光に満ちた光景が、反転した地獄の様子が時々頭をよぎる。
あのエリアには沢山の子供がいて、そこで現実に行われている事は、この素晴らしい場所と同様に、人間の所業だ。
安全で幸福な場所で、極端に悲惨な場所を案じるのは、自己満足だろうか。
偽善的な態度だろうか。
この偽善を背負う事によって、より大きな責任を回避しているだけかも。
SNSのコメント欄では人々はこの戦争を肴に、知性や知識の量を競いたがっているように見えるが、こんな雑文を書き散らしている自分だって所詮同じ穴の狢だ。

使ってない楽器等を売っぱらって国境なき医師団に寄付する方がよっぽど良い。実際そうするかもしれない。
焼け石に水でも、水がかけられるだけまだマシってものだ。
遠くの国での争いが報じられ、人々は無力感を感じる。それが繰り返されるうちに無力感すら感じなくなる。考えなくなる。
考えないのが大人なのかも。大人としてのクールな態度ってやつかも。
考えたって何も起こせないのなら、考える事はただ自らを慰める事と同義か。
そもそも事が起こったのを知ってから考え始めるのでは遅いのだ。
今目の前にある、偶々与えられている安全と幸福とに感謝して、それに専念すべきか。
でも、幸せな園庭を眺めながら、自分が襲われた引き裂かれるような気持ちは、きっと何らかの種子ではある。

そこから何が育つかはまだわからない。発芽するかどうかもわからないが、自分なりの方法で発芽させるべきものだとは思う。
寧ろその種子だけが自分なのかもしれない。
ロボットのようなものでないのなら。
自分は自分で守らなければならない。
まずはそこからでも良いのかも。
自身に多くは期待しないが、その程度でも良いから、続けろ。


2023年10月12日

For 世界平和

まず、はじめに断っておきますが、私は凡庸な人間です。
さほど賢くありません。
なので、平均かそれ以下の知性の持ち主の戯言として受け取ってもらうくらいが丁度良いと思うのですが、
先日、私は世界平和の実現について考えておりました。
争い事の絶えない世界で、比較的平和な地域に生まれ育ち、もうすぐ人生の折返し地点を過ぎようとしている人間として、世界平和の実現に貢献することは今から可能かと、割りかし真剣に考えてみたのです。
皆さんは普段、そういう事ってありますか?
私はほぼありませんが、たまたまそんな会話を知人とした直後だった事もあって、その時はそういう気分だったんでしょう。


音楽をやっています。
音楽絡みの政治的スローガンとして、この国で有名なものに「すべての武器を楽器に」というものがあります。
これが文字通り実現すれば戦争は消えますし、また文字通りでなくとも、戦うより歌ったり、演奏したりした方が楽しいよ、というメッセージとしても、とても正しいものだと感じます。
しかし、現実に武器を持って戦場にいる兵士、あるいは軍事訓練中の人などに、その声が届くのかといったら、なかなか難しいものがあるようにも感じます。
夢があって美しく、また簡潔で力強いメッセージと思いますが、それだけに理想主義的で届く範囲を限定してしまうものでもあるように思えます。
それは正しすぎるのかもしれない。
(ここで大いに蛇足ですが、それを反転させて歌ったのが「アトリエ」という曲の出だしの歌詞です)
音楽というものはそのように理想主義的で夢見がちであって良いと思いますが、しかし必ずそうあるべきだとは思わない。
ちなみに、そういった現実を見失った理想主義者の代表格として語られる事もあるジョン・レノンからは、自分は全く現実の風しか感じないのは何故なのだろうと思うのだが、まあ、それは別の話だ。


それで、これから書く事は一周まわって性差別的な主張に該当すると思うし、書かない方が良いようにも思え(逆効果を生みかねない)、ついでに言えば先述した知人との会話のある程度の受け売りだとも思うのですが、すべての武器を楽器に変える前に、我々にはやる事があると思うのですね。
単刀直入に。それはできる限り男の政治家を女に変える事です。

突然、そんな主張を始めたら笑っちゃいますかね?
もちろん女性にも好戦的な人間はいます。軍人もいますし、戦争が好きな人もいるでしょう。
しかし、あくまでも統計的に、女性の方が直接的・暴力的な争いを好まない傾向は存在するのではないでしょうか?
少なくとも自分の身の回りでは小・中・高・大・社会人通して暴力沙汰を起こすのは、殆どが男でした。
私も男なのでよくわかります。
男はなんだかんだで腕っぷしで相手を屈服させたいし、自分の考える正義・大義を実現するために、よく考えないまま暴力的手段を選んでしまい、また暴力を受ける側もそれを「男らしさ」として受け入れてしまうようなメカニズムがあります。
それが生物学的なものなのか、社会学的なものなのか、わかりませんが(というか、どっちもでしょう)、一般にそういった傾向が存在するという事は、認めてもらえるのではないかと思います。


また、そのような男性性は必ずしも悪い事ではないとも感じます。
男がケンカが強い人に憧れ、格好良いと思ってしまうのは自然な事です。
それはヒロイズムと表裏一体で、正直に告白しますが自分は暴力的なコンテンツ(特定のYouTubeとか)がどうしても好きです。
子供たちを見ていても思うけど、男の生まれつきの暴力性を否定することは難しいし、恐らく正しくすらない。


要は、使い所なのでしょう。
平和を実現する上では、男は国家のリーダーに向いてないというだけの話なんです。
この結論は単純過ぎますか?
でも単純 = 間違い、ではありませんね。
いちいち例を挙げるまでもなく、歴史上、戦争の主役はほぼ全て男の顔です。
有史以来の人類の歴史を一つの社会実験として捉えるなら、現時点ではそういう結論が出る。


で、一市民である私に今、何ができるのか。
まあ、すぐに効果が見えるような形で出来ることは何もない。
自分が国王的立場だったら、とりあえず取っ替えてみるけど、王じゃないし、そんな立場も存在しない。


でも、これはボトムアップで時間をかけて実現されていくべき事です。
国王が政治家の首を取っ替えるのは、全ての武器を楽器に取っ替えるのに少し似ている・・・


具体的には・・
選挙で男か女の候補者で迷ったら、とりあえず女に入れとくか。
その程度の事しか思いつかないな。
まあ、高が知れてるんだよ、暇人の浅知恵なんて。
だから、ここから先はここまで読んだあなたに任せた。


ただ、この事は小さな積み重ねによってのみ、強固に実現されていくという事はわかる。

今後、如何に男性的プライドを傷つけない形で、世界中の男たちの多くに、政治の世界から自然に退場してもらうかという事だ。

ステレオタイプな決めつけをして全方位的に申し訳ないとは思うが、とにかく国のリーダーには向いてないんだよ、俺たちは。

2023年8月24日

99.5%まで来たが、タイトルがまだ思いつかない。
困りながら「絵画とタイトル」という本を図書館で借りた。
本は面白い。
その辺のことをマイクに向けて喋って、まだアップしていない。
これはその前の回で、良い回と感じたが、おそらく今後も含めてあまり喜ばれない。

とにかく、ほんの少しの微修正と、さっき考えたアルバムタイトルが二日後くらいにもまだOKだったら、作業は完了かもしれない。


2023年7月29日

曲順を決めている。
決めた曲順で並べなおして、
歪みたりてない箇所を歪ませている
ミックスというか、とにかく歪みすぎない程度に歪ませたいだけだ

Youtubeで日記のような何かを始めた


2023年6月30日

どうにか最後の曲「とおりすぎる」のアレンジが仕上がった気がする。
他、ちょくちょく直したい歌詞などが出てくる。
歌詞を作ってからしばらくたつと、力が入りすぎた言葉が見えてくる事がある。
当時そう思わなかったのが今となっては不思議、という感じの、何だかなあ、というフレーズが所々に見つかり、それらは大抵の場合、何らかの意味で力が入りすぎている。
イメージを実現させる事を焦ってしまって、かえって実現から遠ざけてしまっている。
そういった、どこか他人任せで弱々しい言葉たちに、うっかり使ってしまってごめんよと謝罪しながら、別のフレーズに交換する。

人に聞かせるために、これらの作業をしているのかどうか、結構微妙なところだ。
もちろん、聞いてもらえたら嬉しいし、褒められればとても喜ぶのだけど、それと同時に、どこか人里離れた小屋か何かで、懸命に機械のパーツをいじっている職工のような気分でもある。
パーツをチューニングして機械の動きがスムーズになると職工は喜ぶが、その機械がどのような場面でどういう仕事をするのかは特に考えていない。
ただ、機械が様々な動きのヴァリエーションを獲得する様子を眺めて、それで満足している。割とそういう感じもする。


2023年6月27日

制作日記のような感じでソロアルバムの進捗状況を逐一、ここで報告できたらと思っていて、全く報告しないまま、12曲の録音が終わった。
もう1曲作っていたが、どうも良い感じにならないので、その曲はお蔵入りになりそうだ。
今回の音源集がどういうものなのか、まだ余りわかっていない。
タイトルもいくつか候補はあるが、決定できない。曲順も。

これから一〜二ヶ月くらい(予定)かけて仕上げをしていく中で、何かしらのものが見えてくるが、それが元々そこにあったものなのか、それとも自分の中に新たに立ち上がってくるものなのかは、わからない。
毎回そうだけど、わからない事が多い。

変わった事といえば、前作まではフルタイムのミュージシャンというポジションに必死にしがみついていたが、今はそうではない。
生活をまわすために色々細かい芸をやっている。
思えば、元々商業音楽に自分の居場所などなかったのに、良く居座れていたと思う。
10年ほどやっていたので、良いアレンジの練習にはなった。

そう考えると、多分一年くらい前が制作技術的にはピークだったかもしれない。
椅子に座っている時間が減った分、今は前より演奏が強くなった。
そういった技術的なバランスの変化が、作品の印象に何かしらの影響を与えている感じはする。
とにかく生活由来の事象は、自分ではほぼコントロールできないので、なるようになるしかない。

ところで、なるようになる、というのは一番好きな言葉かもしれない。
何も言ってないようで、全てを語っているようであり、楽観的でも悲観的でもある。
大抵の何かを語っているような言葉より、信頼できるし、好きだ。

そう書いているうちに、ビートルズで言えば「Let It Be」みたいなアルバムになるような気もしてきた。
ビートルズの中で、今までで一番、聞いてないアルバムだ。
「Let It Be」の納屋でのセッションの映画が見たくてDisney+に加入したにも関わらず、セッションがどうにも退屈で、まだ殆ど映画を見れてない。
ウータン・クランのドラマは3シーズン一気見したが。
しかし、「Let It Be」のあの中途半端さは、何かしら今の自分を惹きつけるものがあるし、またあのアルバムはスタジオでのバンドセッションにも関わらず、後のポールのソロに通じる奇妙な宅録感のようなものもある感じもする。

そんなこんなで今度こそ制作日記的な感じで、ここに進捗を記していけたら良いなあと思う。


2022年8月10日

「蜘蛛」が概ね仕上がった。
取り掛かる前に思い描いていたものとは幾らか違うものになった。
録音作業を通して抽出できる曲の可能性、という成分の含有量が高い曲だったのかもしれない。

アルバム用にここまで3曲作ってみて、この曲が今のところ一番人に聴かせてみたい。
音源の出来不出来とはまた別の次元で、聴かせてみたいかどうかという視点があり、その基準で選ぶと、この曲は上位に入りそうだ。
EP2021で言えば「靴がしゃべった」という曲が、そういう種類の曲だった。
それとは別に、とにかく録音物にする事で成仏させたい、という視点もあり、その基準では先行した2曲の数値の方が上回っている。

ところで、時々楽曲を自分自身の分身だったり、自身の子に例える人がいるが、その喩えは個人的には苦手だ。
出来上がった音源は、どちらかと言えば、自分よりも他人に近い存在に思える。
というか、元々自分に近しかったものを、他人化していく作業に思える。

でも、という事は、よちよち歩きだった子供がやがて独立していく、というのに良く似たプロセスという事になる。
良くわからなくなってきた。結論は無い。


2022年7月29日

「それから光が」が大体仕上がって「蜘蛛」という曲に着手する。

「それから光が」にひと月程かかってしまった。
「舟」もそうだったので、このペースだとアルバムができるのに一年以上かかってしまう計算だが、この「蜘蛛」という曲は比較的すぐ終わりそうな、軽めの曲に感じる。
アルバムという単位で、一群の曲集を纏める上では、そういう、ほんのちょっとした感じの曲があると都合が良いし、自分は実はそういうサイズ感の曲こそ好みだ。

だが、実際に「蜘蛛」にとりかかってみると、この曲はそれだけでもない感じもかなりしてきた。
取り組む前に思っていた感じと、少しだけ違った。
ほんの少し、他人っぽい部分というか、扱い慣れない部分がある。
良い子に見えて意外とワルだったみたいな、そういう感じが。
ひとまず自分は、年老いた教頭のようにオロオロしてみたい。
音楽を作っているうちに、その曲の印象が刻々と変化していく事があって、その事はとても面白い。
教頭の眼鏡にしか映らなかった何かが見えれば嬉しい。


2022年7月25日

たぶん興味ないと思うけど、自分が最近、いわゆるジェネレーションギャップというものを感じた出来事を二つ。

1 20代くらいのバンドの企画に呼んでもらって、その人たち周辺がとても仲良さそうで良い感じだったので「学校の友達とかですか?」と質問したら、一瞬「?」みたいな空気が流れたあとで「いやネットっす・・」みたいな答えが返ってきたこと。

2 30前後くらいの映像関係の人と話していて、某アーティストのインタビューが興味深かったという話になり「それどこで読めるんすか?」と質問したら、一瞬「?」みたいな空気が流れたあとで「いや、動画インタビューっす」みたいな答えが返ってきたこと。

友達は学校か地元、で、インタビューは文字だろ、という自分内の無意識的な位置付けが、世代やカルチャーによっては逆転していて「なんでこの人、わざわざそんな確率低い方から先に聞いてくるのかな?」みたいな戸惑いが、その場に一瞬漂った事を私は見逃せなかった。

時代が流れる川なら、私はどこかの曲がり角か何かで水草にでもひっかかっている小石なのかもしれない。

まあそれだけの話で、別に流れに取り残されないようにしようとも、逆に敢えて取り残されたいとも思わないのだけど、ただ、その流れの中に、頼んだわけでもないのに放り込まれている自分の不憫さに、多少の悲哀を感じずにはいられない。


2022年7月9日

「ストレンジャー・シングス」シーズン4を概ね最後まで鑑賞して、まあ本当に面白く、脚本も素晴らしく練られていて、金も物凄くかかっていて、今、映像関係でこれ見てない人は一体何なの?と思うくらい、当代随一の映像・音響表現が自宅で手軽に鑑賞できるようになって、良い時代になったものだと改めて思うのだけど、と、同時に見ている途中から、自分は結局のところ今、何を見せられているのだろう、あらためて立ち止まって噛み砕いて考えてみなくてはいけないなと思う部分もあって(でも面白すぎるので容易に途中では立ち止まれない)、それは結局のところ、主人公たちの自己犠牲とヒロイズムの問題だと思う。

とにかく、この物語では子どもたちが、仲間のため、また世界の存続のために、絶体絶命のシチュエーションに、自ら身を投じて戦い続ける。
戦わないと、仲間が死ぬし、この世界も終わるので、戦わざるを得ないのだけど、毎度命がけで、何なら自分は死んでも良いので、それでも仲間や、この世界を守りたい、という意思をはっきりと感じさせるような場面が幾度とある。

その姿はとても美しく崇高だし(役者達の魂のこもった演技に毎回心を掴まれる)、自分も心底感動して楽しみ尽くした上で、それでもモヤモヤとしたものが残る。
こうした自己犠牲とそれに伴うヒロイズムは、劇薬入りのお菓子のようなものなのではないかと思ってしまう。
大変美味で、映えるお菓子だけど、今自分が食わされているのは実は、毒薬ではないのかな、と。
仲間や、共同体のために命を捨てて戦う事は、崇高で、美しい事ではある。
数多くのヒーロー物映画だけでなく、ドラゴンボールにしても大長編ドラえもんにしたって、我々が子供の頃から当たり前のように曝され続けていたテーマである。
過去、実際にそうやって我々を守ろうとしてくれた人達もいる。

でも、それにしたって、登場人物皆が皆、何の迷いもためらいもなく、命懸けで特攻し過ぎじゃないの?
2022年に世界の人々が同時に鑑賞するものとしては。

私は「あしたのジョー」の事を思い出していた。
ジョーが行った自己犠牲の事を考えていた。
なんで自分は「あしたのジョー」が好きなんだろう。ジョーも命を賭して、なにかのために戦い続けた少年だ。
しかし、ジョーが向いている方向は社会ではなく、仲間ですらない(勿論力石という存在は大きいけど)。
ジョーが向かっているのは、どこまでも自分自身だ。
自身を燃やし尽くすために、無謀な減量をし、ストイックなトレーニングを積み重ねて、圧倒的な強敵と戦って、散ってゆく。
仲間のためでもなければ、ドヤ街の連中のためでもない。もちろん国のためでは全然ない。
どこまでも自分と、自らがうちに抱えてしまった衝動のため。
でも、だからこそ、その姿は人々の心の中に、純粋で強力な勇気の炎を焚きつける。

安倍元首相を撃った同世代のテロリストは彼なりの方法でこの世界を救おうとしたのだろうか。
テロリズムとヒロイズムはコインの裏表だ。
我々は自己犠牲とヒロイズムについて、もう一度真剣に考えるべきだ。
世のために命を賭して戦う必要なんて、本当にあるのだろうか。
命をかけて追求する対象がもしあるとするなら、それは自分自身の中にあるのでは?

「この世の箍(たが)が外れてしまった」
「 ポーラX」の冒頭で、シェイクスピアの言葉は引用され、まさしくあの主人公は世の箍を押さえようとしたが、やり方がまずかったので失敗して、膨大な不幸が世界にばら撒かれた。 
うまいやり方で、世の箍を押さえてくれるような、そんな物語も読んだり、見たりしてみたいな、と思った。


2022年6月27日

二曲目「それから光が」という曲に取り掛かる。
取り扱う言葉の範囲を少しだけ広げた。
歌詞の内容は嘘かデタラメでありつつ、深刻にリアルであってくれると良いなと思っている。
だが、その事に拘りすぎると言葉の範囲が限定されていくので、時々、自分のマインドを計測して、このくらいまでだったら取り扱いを広げて良いんじゃないかな、と、半ば見切り発車で、詞の範囲を広げてみる事がある。
この曲はおそらくそういう曲なのかもしれない。
敢えて人から借りたような言葉を使うと、そこに自分自身との距離感が生じる。
それによって立体感が生じる事が時々ある。

最近、歌録りはMD421しか使ってなかった。
昔はもう少し高級なコンデンサを使っていたが、ここ数年の自分にとっては、クジラで録った声が概ね自分の求めている音だった。
この曲ではSONYのガンマイクを使ってみる。
指向性が鋭いので、口とマイクとの位置関係で音が結構変わる。
生々しい、即物的なボーカルを載せてみたいと思うのだが、うまくいくのかはわからない。
でも、宅録では無制限に試行することができる。
録音物をつくる人は、歌だけでも家で録れるようにするのが早道な気がする。


2022年6月17日

ひと月ほどかかって「舟」が8、9割の仕上がりになってきた。
取り掛かった時には音像のアイデアは殆ど思い浮かばなかった。
この曲は、今までと少し毛色が違う。6/8拍子で、やや甘い雰囲気の曲調と思う。
何と言ってもipadの録音メモに「原ボーに歌ってほしい」という仮タイトルで録音してあった曲だ。
自分は原由子が日本にいてくれて本当に良かったと思っている。
文化的な領域を超えて、この国に良い影響を与えてくれている存在だと思っている。
如何なる政治家や実業家や思想家、宗教家やオピニオンリーダー達よりも。
彼女の歌唱や存在感には、共有される事を前提として行われる芸術行為の理想的なマナー、のようなものを感じる。
表現行為に内包される私的な面と公的な面のバランス感覚が、すごく洗練された人物なのではないだろうか。
原さんの事を録音された音楽以外では知らないが、そのように考えて、その事に憧れている。

その話はさておいて、一ヶ月ほどの「舟」作業を通じて、今回自分が何をやりたいのかが朧気ながら見えてきた。

ここからは絵の喩えになるけれど、今自分は前よりもいっそう、具象を経路とした抽象、的な表現をやりたいのかもしれない。
表層的には具象でありながら、内実としては抽象であること。
エドワード・ホッパーとか、そんな感じなのではないだろうか。よく知らんが。

友人に野口(行範)君という人がいて、彼の絵はその事をもうだいぶ前に実現していた。
しかも、そこには芸術としての衒いが無かった。
というか、芸術としての衒いをまとわない芸術、というものも世に多く存在していて、そういうものはそういうもの特有のウザさがあり、それならいっそ「吾芸術也」と、悪びれる事なく堂々と芸術然としていてくれる方が鑑賞する側としては寧ろ清々しかったりするのだが、野口君の作品はそういった「衒いをまとわない芸術」という枠に収まる事すらも、その画力とセンスによって、巧妙に回避してのけていた。
当時の批評が彼に追いついているとは全く思えなかったが、自分にははっきりとその事がわかった。(ちゃんと言葉にできたのは今だけど)

彼がやっていたような事をやりたい、というわけではないのだけど、いま参照すべきセンスとマナーがそこにある気がする。(ところで、さっきからマナーマナー言ってるけど、お行儀よくしようって言ってるわけではなくて、ルール未満・態度以上の心構えのようなものとして、マナーという言葉を使っています。言わずもがなかもですが)
音楽のアレンジに置き換えるなら、現実的な楽器(ギターとかピアノとか)の比率を、抽象的な楽器(シンセ)よりも増やす事によって、かえって抽象的な印象になっていくような構造。

大体、ものすごく遠いところと、近いところにヒントが落ちている。


2022年6月8日

録音が続いた。

現場でよく使うSONYのECM673というガンマイクがあるのだけど、このマイクはとても「音声」的なマイクに感じる。
「記録」的といってもいいのかもしれない。
狙った物音や人の声を、ちょっとデフォルメしたようなクッキリした音で、綺麗に録音できる。

音楽用のマイクに比べて実用的な方向性に割り切ったその質感には、ガンマイクとしての矜持が感じられ、また多少手荒に扱ってもビクともしない(実際どのくらい強いかは知らないが、少なくとも壊れやすくは無い)のもありがたく、そのマイクとしての在り方に大いに好感を抱いている、頼れる一本だ。

先週、このマイクを使っていて、この「記録」的で生々しい質感は、逆に楽器の録音に対してある種のクールさ、現代的な客観性を付加する事ができるのではないかと思った。

音楽作品の録音物は(ライブ盤は別として)、その質感を「記録」から遠ざけるよう作られる。
それは記録物でありながら、記録物であるという印象を回避しようとする傾向があり、様々な技術によって生生しさは遠ざけられる(主にコンプレッサーとリバーブ)。
そして、音楽用のマイクは、何というか、始めからある程度「音楽」っぽいものだ。
そういったマイクはその場で鳴っている「音声」を、ある程度「音楽」に変換したうえで、収めてくれる。

自分は音楽作品が好きなので、そういった「音声」を「音楽」に近づけていく作業が大好きだ。
なのだけれど、そこにはある種の嘘や誤魔化しも発生していて、その事に対して後ろめたさを感じるほど誠実だったり正直だったりするわけでもないのだが、ただ、そのメカニズムについては、とても興味深く思っている。
そこには何かしら、斬新な質感のヒントが隠れているような感じがしている。

上述の、音楽作品が記録物でありながら、記録物としての印象を避けようとするというジレンマを解消する一つの手段は、フィールドレコーディングを音楽に導入する事だと思う。
実際、自分も良くやっている。
音楽作品に対して、生々しい「記録音声」のフェーズが加わる事によって、作品は一段立体的に、客観的なものになる。
もう少し手の込んだところになると、現実の物音を加工して、楽音にしたりとかも良くある。
この辺は、大げさに言うなら「記録」の印象を、録音芸術が遠ざけてきた事への、贖罪意識の表れだと思う。

ただ、自分はさっきも書いたように、この現象に対して面白がっているだけの野次馬なので、贖罪的なニュアンスで「音声」を作品に混ぜるのは、少しやり過ぎというか、別にそこまでではないよ、という感じなので(まあそれでも度々やるんだけど)、別のオプションとして、この「音声」的なマイクで、物音として楽器を録ってみようかな、と思ったわけです。
どうにもギターの録音に満足いかない日々を過ごしていたのだけれど、ヒントはこのマイクにあるのかもしれない。
物音としての楽音 ー 昔、初めてカセットMTRで録った自分の声をプレイバックした時、あまりに生生しくてとてもじゃないが聞いていられない、と思ったが、ああいった「音楽」以前の音に存在する生生しさにはヒントがあるのかも。




2022年6月3日

アルバム作り。農業に似ている。
とにかく一日一回、水やりに行く。
前日と比較して曲がどう育っているか観察する。
水さえあげていれば、伸びるべき部分は勝手に伸びていく。
ハサミを入れる部分も自ずから見えてくる。

畑に作物が増えると、嬉しい。
それぞれを比較する事で、また新しい視点が生じる。


自分は名は狩生だが、狩猟的なものよりも農作業の方が性に合う。
早起きも得意だし。

きっと先祖は猟師に憧れ、意気込んでそんな風な苗字を付けてみたものの、結局、農業をやっていたのではないかと思う。
うちの血筋はそういう事をやりそうな気がする。


2022年5月31日

人が死なない映画/ドラマを探しています。
二歳児と「ワンワン」だの「おかあさんといっしょ」だのばかり見続けていて、狂いそうになるので。

個人的には映画の中では人はバンバン死んで構わないし、残酷な怪物に人間が頭から食べられたり、時空の歪みに入り込んで精神と肉体がバラバラになったりするのも映像表現として大歓迎なのですが、さすがにそういうシーンは小さな子供に悪影響を及ぼすという配慮が働き。
最悪死ぬとしても穏便な死に方で、人数も最大三人くらい迄にはとどめてほしい。

このような需要は割と一般的に存在するのではないでしょうか。
でも、実際に作品を最後まで見てみないと、登場人物が死ぬかどうかわからないので、誰か、死人が出ない映画/ドラマをデータベース化して日々更新してくれたら良いのになと思っています。

というわけで、私からは先日発見した大人向けアニメ映画なのですが

イリュージョニスト(フランス/2011年)

時代に取り残された老手品師の話で、絵もストーリーもとても素晴らしかった。
全ての冴えない日々を送る芸術家・元芸術家(つまり大体の芸術家)にはグッとくるはずの切ない映画と思います。
エンディングもとても良かった。
途中一人だけ死にそうになりますが、結局死なないのでご安心ください。


話変わって、先日はライブでして。
久しぶりに拝見した植村さんの演奏がとても凄くて。
自分より大体一回りくらい上の世代で一線にいる人たちの演奏には何かしら共通の色がある事を思い出した。

一音一打が、既に音楽になっている感じというか、ボリュームの大小とは別の次元で、音楽的な大きさのある音を放つ事ができる人達がいて、その事が世代のカラーとして感じられてしまうのが何だか不思議なんですが。(内橋さんや外山さんや菊地さん等。もちろん一人一人違うけど、にもかかわらず押しなべて立ち上がってくる共通の印象、というものが自分にはある)
自分と同世代や下でも、楽器を弾き倒している人は勿論いるんですが、ああいったニュアンスの説得力を感じるのは主に一回り上の世代です。
で、それより上の世代もまたちょっと印象違ってて、上は、一音一音というより、もう少しフレーズ寄りになっていく印象。

まあそんなにサンプル数ないうえでの、どこまでも個人的な印象の話なんですが。
ちなみに身近だと、崇(湯浅)さんの演奏にはそういう音楽的大きさを感じる。

で、我々世代はグランジの影響がどうしてもあるので、技術と反技術の間でいまだに揺れてる人が多いですね。
というか自分が完全にそれです。
世代的影響というものは身体の奥深いレベルに残酷に生存し続けるものと、最近は思います。

以下でその日の記録が見られますが、あのドラムは会場で直接体験してもらえた方が、より自分の言ってる事がわかってもらえるのではないかと思う。

バスク、MUMU、うちら、が大雑把に言って三つ別々の世代として、それぞれの傾向/ニュアンスの差が感じられる、興味深い組み合わせだったのではないでしょうか。

参加できて感謝。

https://www.youtube.com/embed/zEfsqclSCDw

分数
16:30 バスクのスポーツ
1:08:16 MUMU
2:13:41 俺はこんなもんじゃない


2022年5月30日

君は仕事しとるのかとたまに聞かれまして、まあ実際のところ引く手あまたという感じとは、ほど遠いので、暇な感じが自然と滲み出ているのかなあと思うのですが、私は暇人がふんぞり返って生きていける社会を構築していきたいので、そんな私が無駄に忙しそうにしているわけにもいかず、そう思われて本望なところがあります。

ところで、「忙しそうに見せたい」という欲望はある種の現代病として、この世の中に蔓延しているように思われないでしょうか。
実際、忙しいということは仕事を多く頼まれているということなので、売れるために売れてる感を出すという理屈は(特に個人事業主として大いに)理解できるのですが、その副産物として、仕事のための仕事というか、忙しくみせるためだけで本質的には必要ない仕事も多数生んでいるように感じられます。
仕事がなくて暇そうに見えてしまう事を恐れる人々は、与えられる仕事の内容や質を精査する事なく、雇用主に自ら隷属的になっていき、そのストレスは暇人に対する攻撃性を誘発します。
そして、その事がさらに、暇に見られる事への恐怖心を煽ります。

でも暇ってそんなに悪い事はないです。

技術革新によって、社会を維持するために必要な労働量は100年前に比べて半分以下になっているという試算もあります。(ケインズ)
ようは一日3時間ほどエッセンシャルな仕事をすれば、それで世の中十分にまわっていくらしいです。
先進的な暇人はその事に気づき、自ら人柱となってそれを実践しています。

それから、自分は暇じゃないと作品なんか作れません。電気のついていない部屋で腰が痛くなるような低い椅子に座って、鳥の声を聴きながら、2行ずつ詩を書いては消すような日々を繰り返す事によって、ようやく納得できる基準で自分の内面が反映された音楽が生まれます。
で、そうして生まれた音楽は何の役にも立ちません。少なくとも食料や自動車と同じようには役に立ちません。
でも音楽なかったら今この文章を読んでるあなたとお会いできる事もなかったでしょう。

結局のところ人間の全活動を生産性の視点からカウントし尽くすのは不可能で、それは究極的な視点に於いて人類の存続自体が何の役に立っているわけでもないからだと思う。

とにかく暇人が暇であることに恐怖せず、その暇を活用して各々好きな事に邁進できる世の中の方が好きなので、自分はそちらのサイドにベットして生きていこうと思っています。
Netflixのミュージカル映画「チック・チック・ブーン」で歌詞に出てくる「恐怖か愛か」という選択基準は、能動的に生きていく上ではとても重要な考え方だと思うので、もしよかったら見てみてください。


で、この前置きの後に何なんだという事には十分なりかねないのですが、ただ、なるべく仕事と作品の境界線を曖昧にしていきたいとは思っていて

先日こちらの音楽を作りました
撮影/監督はMVでおなじみのカルン
牛木匡憲さんの香港個展
ARTDICTED X 牛木匡憲《Hong Kong Girls》 28 May - 4 Jun



音楽仕事は常時大募集中。常に低空飛行スレスレなのでどうぞよろしく!!


2022年5月22日

この七、八年くらい、多分全てのソロライブの一曲目で歌っている「世界」という曲は、いまだにどう歌うべきなのか正解が見えない。
まず、もともとオクターブ下で低く歌っていたのを上げたので、今のキーだと高すぎて、一曲目から音程が安定しない。
同じ形式の詩が5回くらい連続してそのまま終わる。一種の物語というか、何かの寓意のようにも感じられるが、何の寓意なのかは自分にはわからない。
コード進行が単純で、メロディにも捻りのようなものはあまりない。
自分の中に答えがない状態でやっているので、歌ったあとの会場の空気は大体ハテナな感じになるが、5回に1回くらいのペースで猛烈にウケたりもする。
音楽外の別ジャンルの何かのような、パフォーマティブな要素も少し感じる。
他の曲とは何かしら違う部分がある。最も自分らしさが出ている気もするし、全然無関係な気もする。

この曲を一曲目に演奏する事を止めた時は、自分の中で何かが終わった時だろう。

監督したMVでは曲との距離感みたいなものを正しく表現できた気がする。
七月にまた何本かソロライブをやる。


2022年5月20日

「舟」という曲のトラックにとりかかる。
事前に明確なアレンジのイメージができていて、それを再現するのが実作業、みたいな手際に昔から憧れるのだが、待てど暮らせどイメージが湧かなかったので、結局いつも通り手を動かしながらああでもない、こうでもないと、試行錯誤しているうちに、たまたま運良く完成形のかけらのようなものに行き当たるのを待つ、という手法で始める。
まだ自分には、このやり方しかないようだ。


2022年5月19日

コード進行というかケーデンスの常套句として既定路線を裏切るというのがありますが、

たとえば
iim7-5→V7-9→Im
と普通マイナーにいきそうなところを
iim7-5→V7-9→I△7
と、メジャーで結句する、というような。

ユーミンで言えば「雨の街を」の終わり方みたいなやつ(これはVI→VII→Imだけど、マイナー行きを繰り返した上で最後メジャーに行ってハッとして終わる、わかりやすい実例なので)


このコード進行の常套句を歌詞と自分の脳との間に応用できないかとは昔から思っていて

例えば

「朝がやってくる」

という歌詞があったとして、頭の中では

「朝がやってこない」

と歌っているというような、そういう発想で。
このように実際の出音を演者の心理が否定的に裏切ることを、メジャーに行く筈のコードが期待を裏切ってマイナーに行ってしまう(あるいはその逆)事の、同時的な寓意として実行する事が、何かしらの効果を生む、ひとつのテクニックなんじゃないかと、まあまあ真剣に考えているんですが、また、例えば

メジャー→マイナーほどの否定ではなくとも、コードの機能が変わる

iim7→V7→I△7

iim7→V7→I7


になる

くらいのニュアンスでこの手法を取り入れていくと、より繊細なニュアンスを出す事ができる。
これだと

「朝がやってきた・けど」

くらいの感じになるのかもしれない。
この脳内の裏切りが結果として声の表情に独特の陰影を付け加える事で、重層的な表現が実現する、というようなシステムです。

まあ、しかしこれは役者が親しみを込めて「バカ」というセリフを発音する、というような事と、そんなには変わらないのかもしれない。
要点としては、この手法に名前を付けたいのだけど、大元になっているコード進行の裏切の方に、実はまだ一般的な名称がついてないのかなと思ったという、ただそれだけの事ではあるんですが。

それ以外は、いざ4360万円振り込まれた際に、どうやったら一番首尾良く逃げられるのか、そればかり考えて生きてます。


2022年5月17日

人間が何か物を考える時に、言語によって考えるのと、言語以外で考えるのとでは、その比率はどのくらいのものなんでしょう?
自分は今、一人の人間がまさに言語を獲得しつつある瞬間に日々立ち会っているわけですが、言葉を獲得していくにつれて思考や感情が複雑化していくように見えるとは言え、それでは言語獲得以前に彼女に思考がなかったのかといえば勿論そんな事はなく、きっとその当時はイメージや触覚や音、もしくは大人の自分には思いもよらないような何かを道具にして、物を考えていたはずで、それは我々が普段言葉を使って考えを深めるのと、道具は違えど本質的には同じ仕組みでできているのかもしれない。

今の私の心のOSは言語だが、ある人にとってはそれが嗅覚だったり。
例えば料理人が料理をする時の心的OSには2割くらいの味覚・嗅覚OSのゾーンが出現するものなのかもしれない。料理が下手な人はその比率が圧倒的に低かったり。絵描きが調子良く描いてる時はイメージによるOSに乗っ取られてるのかも。

それでまあ、音OS、音によって思考するという事は果たしてどういう状態なのか、どうやったら可能なのか考えたんですが、今のところとても難しい。貧相なイメージしかわかない。それができたらより面白くてスピード感のある演奏ができそうな気もするのだけど。

その代わりに触覚で考える、というのは感覚的に理解できる気がしてきた。実際ナメクジとかは触覚でしか考えていないように見える。それは神経的な反射なのかもしれないが、結局そういうものと、人の心とは思っているよりもだいぶ地続きで、切り離して考えるべきものでもないような気がする。

この一連のアイデアをより深めるヒントは、言語でありながらイメージでもあり運動でもある、手話にあると思うので、もう一度オリバー・サックスの手話の本読むところから始める。


2022年5月15日

こうして私のこの、余りにホームページ然とした、ホームページが公開されたのだった。
お分かりのように私は大変思い上がった人間なので、このイカしたデザインを参考に、新たなサイトを立ち上げたいという人間が複数現れる事を見越したうえで以下に記すのだが、このサイトは

・まずウェブ上のこの記事を参考に
https://y-ta.net/homepage90/

・Windowsのメモ帳→途中からより見やすくて高機能なBracketsというエディタで書かれ
https://brackets.io/

・各種アイコンの作成は8bit painterを使用
https://onetap.jp/8bitpainter/

・サーバーは広告無しで無料のこちらのサーバーをお借りした。
https://www.xfree.ne.jp/

トータルコスト¥0。
と、どやってみた明け方。

しかしトップページの下の方のライオン

が本来は上下にゆっくり動いているはずなのに、今Safari等で見ると完全に停止してしまっているので、やはり現在推奨されていないMarqueeタグではなく、CSSで同じ動きを再現しなくては、と思っている。
このライオンさえちゃんと上下に動いてくれれば、本来自分がやるべきことに、いよいよ腰を据えて取り組めるのではないだろうかと、今はそう思っている。


2022年5月12日

無心にタグを打っている時間が一日の中で一番心穏やかになれる。
「タグ」という言葉の語感と、キーボードの打音や感触に相関性を感じられるのが、その理由だと思う。
タグを打つために文章が存在している、ガワのために中身が発生するこの感覚が、今の自分を満たしてくれる。


2022年5月11日

新しいアルバムを作っているはずが、ウェブサイトを作っている。
何かやろうとした時は大抵、迂回して別の事を始めてしまう。
サイトはメモ帳にhtmlタグを直接打ってつくろうと思う。
20年くらい前によくあった、必要以上に文字がビカビカしたり、イライラするようなスピードでボタンが跳ねるやつにしたい。
昔少しだけやった事があるので、検索で調べれば大体思い描いたものは作れるだろう。


それから数時間後、あっけなく8割方、ページは完成したのだった。
ノスタルジーと戯れているだけなのかもしれないが、同時にこれこそ失われてしまったインターネットのあるべき姿の一つ、なような気もして一人で盛り上がっている。
昔のウェブサイトには、何か、読み込んだ瞬間にムワッと立ち上がってくるような、それぞれの匂いのようなものがあって、それはおそらくコンテンツの中身よりも、外側のデザインやレイアウトから来るものだった気がする。
それは結局のところただの雑味だったので、今では漂白されて、我々は規格化された幾つかのガワに日々コンテンツを放り込む事に勤しむようになった。

別にそれで全然構わないのだが、何となく別の事をやる事にした。
別、というか昔に戻ってるだけだが。

そもそもウェブサイト自体、必要あるのかといえば必要ないのだろうけど、とか云う、昨今の事情は理解してますが、わかって敢えてやってます、的なアピールを何かに怯えたように繰り出すのは読む側も書く側も鬱陶しいと思うので省略。というか、できればそのような逡巡抜きで純粋に作ってみたかったが、ノスタルジーを伴う作業でそうするのは、頭のタガがもう少し外れない限りは難しい、という事が良くわかった。
今では使われてない、全く推奨されてないタグをふんだんに使ったので、表示がうまくいかない事もあると思うが、道を歩けば新しい家もあれば朽ち果てているような古い家もあるので、まあ仕方がないと思う。機会を見て改装していくかもしれないが、自分の環境ではちゃんと見られているので、今のところそれで満足している。

この日記ははてなダイアリーの続きです。
昔の日記はここに約10年分ほどがあります。
https://kkaarr.hatenablog.com/